節談(ふしだん)とは

仏教における人々の情感に訴える布教のながい伝統をふまえ、浄土真宗で成立した独自な布教技法です。一節には、落語、講談、浪曲といった日本の「話芸」の源流となったといわれています。

笑いあり、涙あり、そして思わずお念仏が口に出る感動的な説教をぜひ、一度ご聴聞ください。

淨宗寺住職は、節談の研究にとりくみ、2007(平成19)年7月の「築地本願寺節談説教布教大会」の企画に加わり、現在この伝道技法の研究と現代への再生を目指しています。

2012年9月20日

小型の『聖典』発行
このほど、若院の得度を記念して、ご門徒・有縁の方々にお配りする『聖典』ができあがりました。 今回は、13×9センチの小型サイズです。いつものように永田文昌堂さんにお世話になりました。寺号入り『聖典』の編集は、故朝枝先生のお寺で始められた企画でしたが、淨宗寺では、1989年2月の前住職一周忌法要の記念品として制作して以来、4回目となります。 11月の若院得度披露法要・報恩講のご案内の中に同封して、お届けしたいと思います。

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2012年9月9日

「おつとめの勉強会」の成果
9日の夕方、「常例・おつとめの勉強会」が開かれました。この会は、2001(平成13)年4月に始められ、早いもので今年で11年目になります。最近は、おつとめの声も大きくなり、今日はご講師の朝倉顕祥先生から「おつとめの節の『アタリ』と『ユリ』の違いができるようになりましたね」とおほめの言葉をいただきました。今日、住職は勤務する大学の「オープンキャンパス」の当番の仕事があり、大幅に遅刻してしまいました。(もうしわけありません。)車を降り山門の前まで走ってきたとき、皆さんの大きな声明が響き渡り、思わず聞きほれてしまいました。今後とも「継続は力なり!!」で、続けてまいりましょう。

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2012年9月8日

「ふるさとの人はありがたき哉」・福泉寺大遠忌
7日・8日の二日間、島根県鹿賀・福泉寺様の親鸞聖人750回大遠忌にお参りさせていただきました。 福泉寺様は、映画界の巨匠・松林宗恵監督(1920~2009)のご生家で、今年87歳の文雄ご住職は監督の弟さんにあたられます。 宗恵先生は、ご生前このお寺の裏山にご自分のお墓を建立されていました。 「ふるさとの人はありがたき哉」そう記された墓碑に手をあわせ、恩師朝枝善照先生を通じての出逢いのご縁と長いお育てに感謝申しあげました。監督の絶筆が「妙好人」であったことも、不思議なご縁ですね。のどかな鹿賀の風景は、母・妙好人そしてお念仏へと連なる「松林ドラマ」の舞台そのものでありました。

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2012年9月4日

「年番」として
わが大津旧市街の浄土真宗本願寺派寺院においては、「大津組」という宗門の正式な行政単位のほかに、「年番会」という私的なグループがあります。その起源は、何と江戸時代の後期にまで遡ると考えられます(詳しくは私の『大津浄土真宗寺院史』2004年永田文昌堂刊167頁参照)。 「年番」の始まりは、それまで「触頭(ふれがしら)」という本末関係を通じて行われていた「宗門改め」の実務を、各寺院が平等に一年ごとに交代に分担するために誕生したものでした。つまり、幕府の政策の末端を担う役目を果たしてはいましたが、ある意味で寺院の自治と平等をめざして生まれた制度といえましょう。 明治以後は、寺院間の互助組織としての性格を持ちらがら今日に至っています。今でもその精神を受け継ぎ、各寺院の住職寺族の葬儀に関しては、ほとんど無報酬でたすけあい、しかも同じ「白」の法衣を着用し席次も年齢順にすると定められています。 本年は17年ぶりに「年番」を勤めさせていただいています。 今回ご縁にて、2日に104歳でご往生されたS寺の前坊守様のご葬儀の準備のお手伝いをさせていただきながら、「年番」の制度をたちあげ永く守り続けてきた先人たちの強い思いを改めてをかみしめております。           合掌

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